“ソーテルヌとバルサック
グラン・クリュ・クラッセ”

文 クロード・ペイルテ

ガロンヌ河畔をボルドーから上流へ40km、ガロンヌ河左岸と広大なランド地方の森林に挟まれた土地でソーテルヌ地区の高級甘口ワインが誕生します。ソーテルヌ地区は、約2200ヘクタールに及ぶ作柄の悪い土壌で、ソーテルヌ、ボンム、ファルグ、プレイニャック、バルサックの5つの村で構成されています。この5つの村出身のワインはすべてソーテルヌを名乗ることができますが、バルサック地区に限り、生産者の意向でソーテルヌとバルサックのどちらかを選ぶことができます。ソーテルヌとバルサックの製法上の規則は同一です。

貴重な貴腐菌もたらす不規則な微気候に煩瑣を極めながら、ごく少量の生産量と引き換えにその貴重なアイデンティティを手にする、この究極のワインから、その名は盗めても、決して本質を盗むことはできません。1855年にパリ万国博覧会で格付けされたソーテルヌ地区とバルサック地区の26のグランクリュこそ、ソーテルヌの何よりもの秀逸の証です。ワインそのものを楽しむために、あるいは、驚嘆さえ伴う食とのマリアージュとして人々が欲するソーテルヌ――。140年前から代々ワイナリーを継承してきたオーナーたちは、自分たちがいかに大きな責任を背負っているかを理解し、高いリスクを受け入れながら、その起源は伝説に包まれた幻の液体を造り続けています。

まさにブドウ作りのための地質を持つソーテルヌの土壌

幸運な宿命といえるほどソーテルヌ地区がブドウ栽培に適しているのは、2つの栽培地帯の地質的特長によるものです。
ガロンヌ河に注ぐシロン川右岸に位置するプレイニャック、ファルグ、ソーテルヌ、ボンムの村が、厳密に言えばソーテルヌ地区に属しています。この地区は、牡蠣殻が堆積した石灰質、泥灰岩、粘土を含む砂岩などを基質に持つ東に傾斜した台地にあり、その起源はすべて第三紀時代に遡ります。第四紀大氷河時代に、この基質はガロンヌ河(西から東へ次々とさまざまな河床を通ってきたため、むしろガロンヌ河を構成する複数の水流というべき)により運ばれてきた巨大な砂利層で覆われます。近年の科学的データから判断するに、ガロンヌ河が多少とも平行で蛇行の多い水路へと変化してゆき、河の屈曲した形状が、直線的な土手に巨大な河岸段丘を、凹岸や河底に堆積物を形成する原因となったと考えることができます。気候の温暖化により、氷河が解け海面が上昇するにつれて、水流が緩やかとなり、沖積土が堆積してゆきます。再び氷河期が訪れると、海面の下降とともに水流が加速し、堆積物が蓄積した河床を再び削り取る現象がおきます。段丘に連なる河岸や複雑な地質形態が、こうして説明できます。最も古い西側が標高も高く、東に向かって低くなっています。

数メートルに堆積したソーテルヌ地区の砂利は、ピレネー山脈や中央山岳地帯からガロンヌ河やその支流によって剥ぎ取られたモレーンが流れてきたものです。大きな石の中には、珍しいもので1メートルに達するものもあり、地質学者らは、こうした石は筏氷で運ばれたものと考えています。総じて、これらの砂利は、1~数センチメートルの卵形の小石が石灰質や粘土質、多くは砂質の膠結物に混じったものです。こうした土壌基盤には、ピレネー山脈から流出した白やピンクの石英、黒のリディアン石、緑がかった砂岩をはじめ、アルビジョワ地方の円平の礫岩、モンターニュ・ノワールの玄武岩や火山弾までも見られます。驚くほど豊富なミネラルのコレクションといえるシャトー・ド・レイヌ・ヴィニョーの土壌がそのよい例です。

ミネラルを多く含むこうした砂利層が、浸食により15~60メートルの比較的平坦な丘へと変化してゆきます。シロン川や周辺を流れる小川への集水に優れたこの丘は、全体的に白く日照条件もすばらしいブドウ栽培に非常に適した土壌です。さらに、日中の太陽熱が夜間も土壌に蓄えられているため、霜の発生リスクが少ないという利点もあります。ブドウの樹は、水分と栄養塩を求めて地中奥深く、時には10メートルを超える深さまでしっかりと根を張り、多孔質層や不透層の最上部まで伸びています。この地層はブドウの根にとって、余分な雨水を逃がし、酷暑の際にも乾燥せず、肥料の変化にも影響を受けることのない安定した環境といえます。

アペラシオン比較表

ソーテルヌ

AOC制度
1936年9月30日

ワインのタイプ
甘口白ワイン

ブドウ品種
セミヨン、ソーヴィニヨン、ミュスカデル

テロワール
ソーテルヌ、ボンム、ファルグ、プレニャック、バルサック5村

栽培面積
1550ヘクタール

最大収穫量
1ヘクタール当たり25ヘクトリットル

収穫
「貴腐」ブドウ粒選摘み

マスト
最低アルコール度13度以上、 既得アルコールが12.5度

ワイン
収穫時の最低糖度が1リットル当たり221グラム以上

生産量
年間3万3000ヘクトリットル

バルサック

AOC制度
1936年9月30日

ワインのタイプ
甘口白ワイン

ブドウ品種
セミヨン、ソーヴィニヨン、ミュスカデル

テロワール
バルサック村

栽培面積
600ヘクタール

最大収穫量
1ヘクタール当たり25ヘクトリットル

収穫
「貴腐」ブドウ粒選摘み

マスト
収穫時の最低糖度が1リットル当たり221グラム以上

ワイン
最低アルコール度13度以上、 既得アルコールが12.5度

生産量
年間1万5000ヘクトリットル

バルサック村では、AOCバルサックとAOCソーテルヌのどちらを名乗るかを栽培者が選びます。

シロン川左岸のバルサックでは状況が異なります。バルサック地区の土壌もブドウ栽培に適していますが、それにはまた違った理由があるのです。この土壌は、アステリズムを有するというよりも、完全にカルスト化した石灰岩の台座を基質としており、裂け目が非常に多く透水性が高くなっています。第四紀初期に累積した砂利の堆積物や風に運ばれてきた砂が浸食作用により削られ、大サイズの小石はブドウ畑にだけ多少残っています。これらの小石は、ミンデル氷期末期の烈風により運び込まれた微かに粘土質を含む大粒の砂からできた独特の赤茶色の土壌に点在しています。ブドウの樹は、40~50センチメートルの痩せた土壌を貫いて、石灰岩層に根を張っているのです。こうした土壌学的特性により、AOCバルサックが設けられているのです。
ソーテルヌ地区の5つの村を注意深く歩いてみれば、グランクリュの最高の畑とは水はけがよい痩せた土壌であることがわかります。ソーテルヌ地区の砂利を多く含む日当たりのよい丘の頂上や斜面、あるいはバルサック地区の亀裂の多い石灰層を覆う赤レンガ色の土が、高級ワインの誕生に欠かせないミネラルの源となっています。

セパージュ――白ワイン用3大品種

氷河、ガロンヌ河、シロン川などが、南仏を支持するかのごとく地質に影響を与え、数々の奇妙な出来事を誘発したのは確かですが、畑を作ろうとする人がいなかったら、また、白ワイン用ブドウを植えようと思わなかったならば、この土地は荒れ果てたままだったかも知れません。

セミヨンの発祥の地は、ソーテルヌ地区であったと思われます。少なくとも4世紀以前からボルドー地方に存在しており、ミルデュー(べと病)やオイディウム(うどんこ病)に強い抵抗力を示すセミヨンは、1851~1885年にかけての病害でブドウ畑が瀕死の危機に直面した際に、ソーヴィニヨンの代用品種として大幅に使用されました。新苗の80%以上(シャトーによっては100%のところもある)を占めるセミヨンは、まさしく、ソーテルヌ地区のグランクリュにおける白ワイン用ブドウの王様と呼ぶにふさわしい品種です。また、ソーテルヌとバルサックであるからこそ、その持ち味が完全に生かされているともいえます。セミヨンは同時期に芽を出さないため、この地特有の春の遅霜の害を免れるという利点もあります。完熟したセミヨンは、やや金色がかった白い円柱状の美しい房となり、やがて一つひとつの粒は、果皮に高貴なボトリティス菌(“貴腐”ワインを生む極小のカビ菌)がつくのを待ちます。果汁には非常に上品な芳香性があり、かすかに麝香の風味が感じられます。純粋主義者たちは、すばらしいワインの前兆ともいえるアプリコット、オレンジ、燻した香りなどさえ感じられるといいます。

ソーヴィニヨンはセミヨンの優秀な右腕です。有名なプイィ、サンセール、グラーヴ地区の辛口ワイン用として使用されるこの品種は、ソーテルヌ地区との相性もすばらしいです。発芽が遅いため、4月の霜害を直接受けず、開花、成熟期もセミヨンより早い傾向にあります。三角錐型に並んだ小粒の房で、金色がかった黄色の卵形の粒を包む丈夫な果皮にボトリティス菌を受け入れます。とろけるような風味豊かな果肉とソフトな麝香の香り(十分な酸度を伴う)は、ワインのすばらしい将来を約束するものです。こうしたさまざまな理由からソーヴィニヨンは、ワインに欠かせない品種となっています(グランクリュの使用比率は最大で20%)。

ミュスカデルが立ち直りを見せています。ボルドーで生まれながらあまり評価の高くないミュスカデルは、繁殖率の低さから消滅しかかったこともあります。発芽が遅いため最後の霜の被害を受けずにすむものの、オディウム(うどん粉病)や灰色腐敗病に弱いという性質を持っています。しかし、いったん大きなピラミッド型の房をつけると、斑のある白い見事なしょう果に貴腐菌が宿り、高級甘口ワインへと昇華させるかすかに麝香やマスカット香のある甘い果汁を得ることができます。8つのシャトーではまったく使われておらず、他で使用しているところでも、その比率は通常2~5%、多くても12%程度にとどまっています。しかし、抵抗力のあるクローン苗が開発されて以来、いくつかの畑に返り咲きを果たしています。

品種とその使用比率の選択は、グラン・クリュ・クラッセの個性を左右する重要な条件です。

確かに、その選択には、土壌の構成や組成をはじめ、時折きわめて特異な様相を示す気象条件などが関与してきます。しかし、こうした自然の法則に基づく決定要因以上に、造り手がどのようなワインを求めているのかが常に一番の重要条件となります。

朝霧と太陽のいたずら――"貴腐"ワイン

アキテーヌ地方の穏やかな気候に恵まれたソーテルヌ地区――。冬は降雨があるが比較的穏やかで、湿気が多く生暖かい春が発芽を促します(反面、遅霜の被害が大きくなるという欠点もあります)。夏は比較的暑いため、ブドウが段階的に成熟してゆくことができます。これは、糖度の上がり過ぎや酸度不足を防ぐ点で、白ワインには特に好条件です。ブドウを容赦なく痛めつける雹や大雷雨には、特に警戒しなくてはなりません。一年の収穫が台無しになる恐れがあります。
春と夏の心配事を忘れかけたころに秋が到来します。ソーテルヌ地区の微気候がその本領を発揮する驚異の季節で、ヴィンテージの良し悪しはこの季節にかかっています。

9月の終わりになると、ガロンヌ河やガロンヌ河に注ぎ込む日陰が多く冷たいシロン川から朝霧が立ち込めてきます。松の森林に進路を阻まれたこの霧がブドウ畑を覆い、ボトリティス・シネリア菌(ブドウの粒に付着する小さな隠花植物)の発生を促します。しかし午後に近づくにつれて、太陽が朝霧をかき消して青空をのぞかせます。暖かな日差しが畑に注ぎ込むまでの間、ボトリティス菌が果皮に穴を開けながら十分繁殖しますが、果肉までには至りません。これが貴腐の現象です。こうした特異な隠花植物の活動がブドウ粒の水分の蒸発を招き、マストの濃度が著しく上昇します。ブドウの粒に茶色の斑点が現れ、次第に全体が茶色に変化(”完腐”)してゆきます。その後、しおれてしわくちゃになった状態を「ロティ(ロースト)」または「貴腐」と呼びます。摘み取りの時期がやってきました。

ブドウ品種、日照条件、房についた粒の位置などにより、成熟度には常にばらつきがあるため、「選別」、つまり数回に分けて、完熟したブドウだけを摘み取ってゆきます。収穫のたびに、しっかりと「ロティ(ロースト)」の状態になった房、または房の一部だけを摘み取ることから、「選別」という言葉が使われるようになったのです。収穫は通常10月1日前後から11月にかけて、さらに遅いときには12月までかかることがあります。グランクリュの畑では、通常5、6回に分けて収穫しますが、収穫年によっては9回から10回も繰り返すこともあります。この選別には現地の眼識ある熟練の摘み手があたり、先細りのハサミで入念に摘み取ってゆきます。彼らは、重要な儀式に慣れた人たちのように、騒々しく奇声を上げることを諌め、単なる機械的動作を許さない、ほとんど宗教的な静けさの中で、非常にゆっくりとしたスピードで進んでゆきます。

ソーテルヌでは摘み取り機の入る余地はありません。摘み手の鋭い眼識と知恵に代わる機械やロボットなど存在しません。

ボトリティス菌が発生しなかったり、ごくわずかしか見られなかった年には、真の甘口ワインは造れません。雨が長く続いて降ったりすれば、ボトリティス菌の悪性本能が目覚め灰色カビとなって、一年の収穫をすべて葬り去ってしまうのです。気品あるワインを生産するためには、どれだけの犠牲が払われるかがわかるというものです。事情を知らない消費者には法外な値段だと思われても、常にリスクと背中合わせで追加人件費がいくらでも発生することを考えれば納得がゆくものです。

最大収穫量は、原産地呼称規定により1ヘクタール当たり25ヘクトリットルに抑えられていても、グランクリュでは15や10ヘクトリットルが現実です。

移り気な細菌、ボトリティス・シネリア菌

ソーテルヌとバルサックでは、ブドウにカビが生えるまで収穫しません。「カビとおっしゃいましたか?」 – はい、確かに。でも、「貴腐」カビです。しょう果は、紫色に変色し、しわくちゃになりながら干からびてゆくと、次第に表面に灰のような白い産毛上のカビが生えてきます。このような不思議な現象を起こす微生菌が、灰をまとった房、つまり「ボトリティス・シネリア菌」と名づけられた所以です。

ボトリティス菌の発生には2つの条件が必要です。一つ目はブドウが完熟状態にあること。そして二つ目が朝霧と午後の太陽が毎日入れ替わりに出現することです。これにより、やや狂気がかった隠花植物がブドウの果皮だけに飛びかかるわけです。

果皮に発生した亀裂や穴を通して実から水分が蒸発して、果汁はやがて黄金色の甘美なジャム状に濃縮されてゆきます。ボトリティス菌は、糖よりも酸を燃焼分解しますので、マストには甘美な糖が濃縮されて残るのです。同時に、菌がグリコールを合成し、芳醇さやねっとり感をもたらします。しかし、狡猾なこのボトリティス菌は、一部に含窒素物質を付着させたり、ボトリティシンという抗生物質を発生させて、発酵段階で酵母の働きを妨げることがあります。それだけではありません。ふざけるのが好きなのか、ひねくれているのかはわかりませんが、ボトリティス・シネリア菌がすべてのブドウにいっぺんに発生することはめずらしく、何が起ころうと、一粒ずつブドウを平らげてゆきます。そのため、摘み手による選別、つまり、しっかりと「ロティ(ロースト)」化した房やブドウだけを数回に分けて収穫することが必要となるのです。

このときに折悪しく雨が降ってしまったら、簡単にブドウ内部に水が浸入し糖度を下げてしまい、一年の収穫が台無しになってしまいます。後は雨が収まり太陽が事態を修復してくれるのを天に祈るばかりです。不幸にも雨が降り止まなかったり、止んでも再び降ることがあれば、そのときは、すべての望みが消えたと観念しなくてはなりません。カビが灰色となり、ブドウの実ははじけてゆきます。こうした年には、神の摂理で腐敗を免れたブドウを収穫して、せめて1855年の格付けに恥じないワインを造れるか否かに、わずかな望みをかけるばかりとなります。

仕事に対する厳しさと情熱こそ醸造の秘訣

糖分の濃縮と芳香性の増強には欠かせないスパルタ式の収穫量制限も、一部はボトリティス菌がその役割を担っています。通常1ヘクタール当たり40ヘクトリットル収穫できる畑でも、ボトリティス菌の働きにより、18ヘクタール程度まで収穫量が落ちます。しかし、高い収穫量を求めた結果、養分が乏しく無気力になったブドウにボトリティス菌がついても、その効果は期待できません。栽培者の知性と知恵により、自然と栽培量自体を減らす方向へと向かうのです。このため、標準的な栽培密度は1ヘクタール当たり6500~7500本程度となります。肥料は、極力制限し、土壌の腐植含有量のバランスを整えるためだけに用います。また、1本の木から1~3杯分のソーテルヌしか造らない古来伝統のしきたりを守り、剪定も短く厳しく行います。ソーヴィニヨンでは、一般に、芽を5~6つ残すシンプルギュイヨ方式で仕立てますが、セミヨンやミュスカデルでは、「コット」と呼ばれるソーテルヌ地区の扇形に仕立てる剪定方式が主流となっています。これは、ゴブレ(低く剪定し、枝を2~3しか残さないやり方)に仕立て、針金で枝を補強するものです。それぞれの枝から出た小枝(コット)は、厳しく剪定しながら芽を2~3つだけ残し、6~8房しかブドウが実らないようにします。

収穫ブドウの到着から瓶詰めまでのワイナリーでの作業においても、その厳しさと情熱には変わりありません。高い尊敬に値する古来の伝統や最先端の醸造技術といった、治療よりも予防を重んじ、自然と人の力を利用した科学の光明を当てた独自の選択や経験となって現れています。シャトーの中にはロット毎に醸造を行っているところがあります。こうしたロットの中には、一つひとつが一日の選別収穫に相当するものもあります。22~24度の潜在アルコール度をもつ特別なマストを、特定のキュヴェとして個別に醸造する方法を継承しているところもあります。また、気品ある芳香性と酸味を重視して完熟した時点でソーヴィニヨンを収穫し、より新鮮で元気のあるワインを造るところもあれば、回りが速く肉付きのいいソーテルヌを求めて、ぎりぎりまで収穫を我慢して貴腐ワインを造るところもあります。もちろん、どのシャトーでも、後に行うアッサンブラージュのために、品種ごとに分けて醸造を行っています。

圧搾機の効率を高めるために収穫したブドウをあらかじめ軽く破砕するところもありますが、多くのシャトーではこの方法は用いられていません。

圧搾作業には、直接、間接、従来の垂直型、水平型あるいは空圧式を問わず、しっかりとした注意と入念な設定が必要となります。最初の圧搾で得られた全量の4分の3を占めるマストは、官能的にはすばらしい品質のものです。しかし、さらに豊かな糖分は、次の2回の圧搾で得られるマストに潜んでいます。やさしく、ゆっくりとブドウをいたわりながら圧搾した液体の中に、元気のある香り豊かな真のワインの精粋がみなぎるのです。発酵過程は、軽い前清澄を一晩ほど施した後に始まります。

この土地の天然酵母を使った発酵がここから始まります。自動温度設定装置つきの小型のステンレスタンク、または樽で発酵させます。

作業は入念な管理のもとに行われます。ロットの選定から果汁の選定まで、前回の設定条件を忠実に再現しながら進める職人的作業です。

発酵は通常2~4週間続きます。いずれにせよ、ソーテルヌ地区では、発酵は常にデリケートな作業といえます。貴腐菌の代償として、含窒素成分の欠乏、前清澄による酵母数の減少、抗生物質のボトリティシンの存在といったマストの弱体化が進む要因が出てくるため、発酵自体が難しくなってゆきます。また、スムーズな発酵を促進するためには、温度を20~22°Cに保たなければなりません。概ね、アルコールが一定の度数に達し、酵母の働きを抑制するか酵母が死滅した段階で、発酵は自然に停止します。自然の摂理とは厳しいものです。既得アルコール、つまり最終的にワインに備わるアルコール度が、糖分がアルコールに分解されない前の潜在的アルコール度数の4~6度高い13.5度または14度になるのが望ましいといえます。
“グランクリュ・ワインの熟成期間は非常に長くなります。ほとんどの場合18ヶ月~2年間で、長いものでは3年を要するものもあります。ワインの持ち味が実際に現れてくるのがこの期間です。熟成は、たいていの場合、オークの新樽で、時折、小型の発酵槽や発酵樽などを用いて行われます。もちろん、シャトーにより事情は異なります。いずれにせよ、ワインをオーク樽に入れるのは、樽材からタンニンをはじめバニラ、甘草、丁子、カーネーションなどの芳香物質をワインに溶出させるという意味があります。アッサンブラージュの準備として、数多くのテイスティングが行われます。品質が一定の条件を満たしていないと判断して、”cru classé 1855(クリュ・クラッセ1855年)”のラベルを貼らない勇気も時には必要です。

樽内では、ワインの収縮や蒸発がおきることにより、樽とワインの隙間の空気が貴重な「ネクター(神の酒)」を酸化させてしまいます。これを防ぐために、定期的にワインを補填するのも、熟成過程の作業のひとつです。澱引き後に、樽から樽へワインを移し変えながら、コラージュによる清澄も重要な作業です。必要に応じて慎重なろ過を行った後、瓶詰めを行います。

あたかも芸術作品を大切に扱うように、やさしくゆっくりと行われるこの作業を目の前にして、門外漢は常に驚きを隠せません。

ソーテルヌの起源説は史実か、それとも伝説か

回りの速い芳香に満ちたセラーで、整然と並ぶ樽を前にして、ワインの魅力に取り付かれた訪問者なら誰もが醸造責任者に問いかける言葉があります――「ムッシュ、いつからこのようなすばらしいワインを造られているのですか?」

醸造責任者は笑みを浮かべながらも、やや躊躇しながら、「いろいろな謎に包まれておりはっきりとしたことはわからない」と答えます。それでも最後には、やや素敵な伝説のにおいがする起源説を二つ教えてくれます。一つ目は1836年に端を発します。ドイツ出身のネゴシアン、フォッケが、ボンム村のシャトー・ラ・トゥール・ブランシュで収穫を始めようと、長い秋雨の終わりを待っていたときのこと。ひとたび太陽が顔を出すと、ブドウは干からび、貴腐菌が発生しました。このブドウをもとに造ったワインは非常に甘美であった、と。要するに、偶然と、ライン川周辺で行われている選別摘みの遠い記憶が合わさったような話です。二つ目の話も、神から授かった思いがけない偶然に似ています。1847年、ディケムのオーナー、リュル・サリュース公爵がロシアで立ち往生していたときのこと。彼は、自分が戻るまでは収穫を待つようにとの指示を出しました。

ここで奇跡が起こります。貴腐菌のおかげでこの年のワインは特別にすばらしかったというわけです。

これらの逸話を否定はしないものの、歴史家たちより複雑なデータをもとに話を展開しています。彼らによれば、すでに16世紀 末より、白ワインは、海上通商を仕切るオランダ商人たちからかなり高い人気を得ていたとのことです。

一部は、加熱ワインとしてオー・ド・ヴィとなり、その他は、やや甘口のワインとして、何の気後れもなく「手が加えられ」ます。オランダ人たちは、砂糖、アルコール、シロップなどを加えたり、植物を漬け込んだりしていました。これは、甘味飲料に目がない北欧の顧客を満足するために、必然的に行っていたものです。17世紀になると、ボルドーを中心にぶどう園にもオランダ人が多くなってきます。貴腐菌のことはまったく知らない彼らが、残留糖量のある甘口白ワインを求めてバルサックのプレヴォ管轄区を目指したことに疑いの余地はありません。およそソーテルヌとバルサックの2つの地区に相当するこのプレヴォ管轄区は、大幅に知名度を増します。こうして、1613年になると、バルサック村の名士たちがワインの「支払い延長措置や特権」などを明文化してゆきます。1647には、ボルドーの市参事会員とオランダの商人が「ワイン課税」を書き記します。これは、パリュ(谷底平野)と呼ばれる近代沖積土地帯の小地域の赤ワイン(95~105)に次ぐセカンドランクとして、現在のソーテルヌ地区の5つの村のワインに84~105リーヴル・トゥルノワを課したものです。さらに、1666年の記録では、ベルジュラック地区とソーテルヌ地区で遅摘みが行われていたことがわかっています。しかし、ボトリティス菌はついていたのでしょうか?

17世紀末には、現在の約3分の2の畑がブドウ栽培に使われていました。この時期にこれらの銘醸地帯に現地の貴族が大規模な投資を行いました。1740年頃は、グラーヴ北部やメドック(4倍の1500~1800リーヴル・トゥルノワの値がつけられていた)のワインよりも安い値段がつけられていたにもかかわらず、この動きは18世紀まで続きます。しかし、ソーテルヌとバルサックの甘口ワインは、オランダ商人が半値で取引していたアントル=ドゥー=メールの加熱ワインとは格の違いを見せていました。18世紀初頭には、主な栽培地帯がガロンヌ河に平行して横たわっていたのに対し、1770~1810年頃には、陸地の奥深くボンムやソーテルヌの砂利質の丘に広がってゆきます。ソバージュ・ディケム家やイケム、サン・クリック、フィロ、クーテなどを所有するリュル・サリュース家は、新苗や白ワイン用ブドウ品種の選択、完熟ブドウの選別収穫などで重要な役割を果たしたといえます。後のアメリカ大統領ジェファーソンの目にも狂いはありませんでした。1787年にボルドーを訪れたジェファーソンは、帰国後ボルドーのアメリカ領事館に12本入り85ケースのワインを注文しました。その中で、ソーテルヌについては“リュル・サリュース伯爵様直々に”との言葉を添えています。ジェファーソン自らが個人用に格付けしたワインの中には、バルサック村、プレニャック村、ソーテルヌ村の甘口ワイン、特に、1741年にギュイエンヌ地方長官が「『ほとんど腐った状態』ではじめて収穫する」と書き記したものが入れられていました。地方長官は、また、「甘さを出すために数回に分けて収穫する」とも付け加えています。これは、当時すでに貴腐が存在し、選別収穫が行われていたことを示すものです。

1855年の格付け

17世紀中盤にクリュの概念がボルドー地方に現れました。事実、独特なテロワールの高級ワインがすでに頭角を現しており、オーナーたちは自分たちの優れたワインに誇りを持っていました。赤ワインでいえば、オー・ブリオン、ラトゥール、マルゴー、ラフィットの四天王がそれにあたります。平行して、ソーテルヌ地区でも一流のドメーヌが非公式にトップランク入りを果たしています。貴腐による甘口白ワインの生成に特化したことが、こうした評価に貢献しています。フランス革命、第一帝政がボルドーの交易とワインの輸出に大きな痛手となったものの、七月王政で経済的回復を見ます。ソーテルヌ地区では植樹や植え替えが行われ、選別収穫が一般化されてゆくにつれて、ボルドー、ドイツ、オランダ、ベルギーの新たな顧客が高級甘口ワインに強い関心を示すようになります。イギリス人やロシア人同様、「極上の極み」を求め、ソーテルヌの秘薬にたどり着いたのはいうまでもありません。

他の地方では、ひとつのクリュが、複数の所有者や2、3の村が共同で使用する土壌を示す場合があるのとは異なり、ボルドーでは、あるAOCに属する畑全体または畑の一部から生産したワインを販売するぶどう園をクリュといいます。ボルドーで「クリュ」の同意語として使われているのが「シャトー」です。ただし、ここでいうシャトーは、何の変哲もないただの建物である場合もあります。ソーテルヌ地区のシャトーは、建築様式で見ればいずれも立派な城館がほとんどです。セラーは、古式から超近代的なものまでさまざまなですが、機能面、美的感覚の両面において優れています。

このクリュの概念が非常に強かった1850年代に、イケム、クーテ、フィロのワインは、仲買人たちのこの上ない人気を博し、リュル・サリュース公爵の積極的なアピールにより、パリをはじめ、東欧や東洋の王室、王侯君主の間でも、これらの高級ワインが引っ張りだこになります。これが興じて、1樽の値段は20年で2倍にも跳ね上がっています。人々の記憶にも残るこうした恵まれた時期に、ネゴシアンのフォッケとリュル・サリュース公爵が幸運なる偶然に想いを馳せる2つの逸話を利用した……。これはありえる話です。

1855年、第二帝政の時代にすべての準備が整います。パリ万国博覧会で、各県が郷土特産品を展示することになり、ボルドーの商工会議所は、仲買人組合に最も高級なワインの格付評価を依頼します。この仲買人とは、当然、ブドウ園に足を運び、テイスティングを行いながら価格の評価に貢献する公明で独立したワインのプロとみなされており、デクレにより司法補助吏にも任命されています。彼らが提出した格付け案の前文には、「入手可能なあらゆる情報を判断材料とした」ことが謳われています。彼らは、数十年前にさかのぼる数多くの資料や、自分たちでまとめた驚くほど詳細なテイスティング評を用意していたのです。いざ提案に乗り出したものの、その重い責任にやや心配を感じた仲買人たちは、このリストは「自尊心を傷つける可能性」があり、仲買人としては、商工会議所が行う作業の「後押し」をしたに過ぎないと、遠慮がちに報告しています。赤ワインでは、メドックのシャトーとシャトー・オー・ブリオンだけが5つの等級に格付けされました。白ワインの中で選考に残ったのは、ソーテルヌとバルサックのみです。シャトー・ディケムは、別格の評価を受けて、唯一、プルミエ・クリュ・スペリュール(特別第1級)に輝いています。続いて9つのシャトーが第1級に、そして11のシャトーが第2級に選ばれています。ソーテルヌ地区では、5つの等級のうち2つしか等級が設けられていない分、厳しい序列であるといえます。

シャトーの知名度を誇るようなこの格付けも、以前より回を重ねて信憑性があり、販売価格ごとに検証した格付けに基づいて行われています。この格付けは、自己の実力を十分に示したシャトーに対して、仲買人が評価するだけのものでしたので、抗議の声は上がりませんでした。

ソーテルヌやバルサックのグラン・クリュ・クラッセは、暗黙に行われてきた宣伝を利用した形となりました。こうした宣伝効果により、1859年、ロシア歴代皇帝の弟コンスタンチン大公が、イケム1847年の樽を3049ユーロで購入しています。当時のラトゥールやマルゴーの4~5倍の値段です。後の20年で、ソーテルヌのシャトーは、頻繁にメドックの第2級を抜き、数回にわたり第1級をも凌いでいます。ソーテルヌのシャトーの名声は確かなものとなり、地方全体がその栄華の恩恵に授かりました。ポンタック、シガラス、ローランをはじめ、数多くの由緒ある貴族がソーテルヌ地区に戻ってきたのもうなずけます。

ソーテルヌ地区ではフィロキセラの猛威のスピードがやや遅かったのに加え、グラン・クリュ・クラッセには、新たに幸運な年が訪れます。2度の大戦の間に、半甘口や甘口ワインへの嗜好が大幅に広まり、グラン・クリュ・クラッセは、1929年の恐慌を決然と乗り越えます。しかし、1950年から雲行きがかなり怪しくなってゆきます。白ワイン離れへの不安が高まる一方、赤ワインへの人気が急激に高まってゆきます。60年代も悲惨な年でした。これは気象条件が原因で、多くの投資が打ち切られています。

良年の83年、1937年に匹敵する当たり年の86年など、80年代に新たな展開を迎えます。これは、国内や、特に海外の雑誌の力と新しい消費傾向により、ソーテルヌの高級ワインへの関心が高まったことにも見て取れます。ただ、回復を決定付けたのは、グランクリュシャトーが長い間、時にはかなり体力を消耗しながらも我慢し、ブドウ園のとりことなった人々がいくつかのシャトーを買い取り修復したのが、最も大きな要因です。われわれが教訓とすべきことは明らかです。原産地統制呼称が生まれるずっと以前に行われた1855年の格付けが、約150年にわたり各世代に責任感を芽生えさせたのです。「われわれが受けた名誉に背いてはならない」――。これは、ソーテルヌ村とバルサック村の栽培面積の45%、全売上高の70%を占め、クリュ・クラッセ組合の傘下にある26のシャトーが自らに厳しく言い聞かせているモットーではないでしょうか。

料理とグランクリュ――美食のアライアンス

ソーテルヌやバルサックのグランクリュは、その個性や奇抜さに敬意を示すかのごとく、そのまま楽しむことができます。イギリス、スウェーデン、ドイツで冬の午後も遅い時間にかなり寒くなった頃、あるいは、真夏の庭先の園亭やキオスクでたしなむ……。北国の人々が長い間、こうして楽しい時間を過ごしてきたことを私たちは知っています。

悲観的な見方をする人の中には、高級甘口ワインを楽しむ方法はこれしかないとささやく人もいます。極限的甘さが、料理とのアライアンスに拒否反応を示すというのです。今日、かなりの先入観があるように思われるこうした狡猾な信仰告白は、数多くの忠実な愛好家やクリエイティブ志向のシェフたちから攻撃を受けています。 何でもかんでも勧めるのではないにせよ、数世紀にわたり、スパイスと甘さ、鶏肉と甘口ワイン、セリアルとフルーツ、アーモンド、ビターオレンジといったエキゾチックな料理の伝統を理解し、味の哲学に基づいて料理との組み合わせを探してゆこうではないかというわけです。料理の素材とワインが、楽しさの論法において相反するコントラストを見せるもの、そして、甘みと甘み、新鮮味と新鮮味といった同じ性質の要素を加えることにより補足的なハーモニーを演出するもの、という2つの際立った組み合わせ方があります。どちらの例でも、それぞれの材料が相乗効果を演じます。

食事のスタートは、新鮮な果実味のメロンで。グランクリュがほしいところです。フルーツがワインを引きつけ、ワインは控えめなパートナーと高揚します。クラシックで落ち着いた組み合わせといえます。フォアグラについては規則あっての例外といえます。というのも、通常脂質は、ある種の辛口白ワインの酸味と結びついてバランスをとろうとするのです。フォアグラはよく冷やすか、少し温めて出しますが、そのままでも、ブドウやリンゴを添えて出しても、甘口ワインにはピッタリ合います。「脂質」に「ねっとり感」を加えても大丈夫でしょうか。このアライアンスが、また非常にすばらしいのは、ワインの糖分とフォアグラの塩分が、存在感はあってもお互いに誇示せず、平然と対極となる相手を受け入れている点です。同時に、確かに存在はするが、ほとんど感じ取れないワインの酸味が、フォアグラの塩分と脂質で引き立てられます。塩+糖分+酸味+脂質の組み合わせは、いわば中華のマリアージュです。かすかなワインの苦味がフォアグラの苦味に呼応することがあります。特にフォアグラが若干熟成している場合はそれが顕著に見えます。

グルメを大胆にさせるフォアグラの例。ソーテルヌをキッシュとお試しください。キッシュの燻した香りがワインの焦臭性と結びつきます。もちろん、川かますのクネルのナンチュラソース風味などにもピッタリです。非常に納得できます。ただし、全体的にスパイスを効かせて、上品な調理法(グリルは除く)を用いることが条件です。オマール海老、カニ、エクルヴィス、アカザ海老などは、長年寝かしたバルサックやソーテルヌの持ち味を引き立ててくれます。

タラの一口パイなども試してみてはいかがでしょうか。ジロンド地方の一流シェフが腕によりをかけた牡蠣のラビオリのカレー風味、帆立貝と細切りアンディーヴ、リ・ド・ヴォーなどには、十分評価に値する期間寝かせたグランクリュを合わせたいものです。

お勧めはまだまだあります。ここ10年ほどで、フランス料理をはじめ海外でも、ソーテルヌ、バルサックと魚料理の組み合わせの価値が見直されています。ただし、脂の乗った魚はいけません。ソースはムスリーヌ、オランデーズ、ノルマンド、アメリケーヌで。スパイスも操れなくてはいけません。こうした微妙な組み合わせには、舌平目、平目、かわめんたい、すずきといった高級魚が抜群です。

家禽には赤ワインが当然のように思われるかもしれません。しかし、ソーテルヌの人々は、甘口ワインがシンプルなチキンのローストやチキンのガーリック風味などと非常によく合うことを知っています。コンフィ状になったにんにくの風味が、「貴腐」のフレーバーと呼応するためです。家禽の肉は、調理によりねっとり感がでるものの、比較的あっさりしています。そのため、構造がしっかりしていて、精気があり、美しいブケをもつ白ワインとの組み合わせに向いているといえます。調理方法が中華風やニューオーリンズ風なら、なおさら相性がよいでしょう。より高級なスタイルとして、軽いトリュフ風味の肥育鶏の膀胱包みや、鴨のフルーツソース(チェリー、ピーチ、レーズン、オレンジ等)などもお試しください。心地よさは請け合いです。

それでは、マグレ(鴨の胸肉)はどうでしょう。きのこ、控えめなトリュフ、ガーリッククリーム、フォアグラの風味をつければ、甘口ワインともよく合います。また、マグレはチェリー、洋ナシ、それからソーテルヌを使って調理できるのです。白が白を呼ぶのです。先鋭のシェフがその価値を高めた料理を楽しみながら、おろかなタブーは一笑に付してしまいましょう。白身の肉を使った料理に大胆にソーテルヌやバルサックを合わせてみてください。ポークは、フルーツで調理するか、アジア風ならまったく問題はありません。スパイス、フルーツ、コンフィの風味が舌に働きかけて、ワインを快く受け入れてくれます。同様の条件で、仔牛でも類似のフレーバーやソフトなコントラストで楽しめます。もちろん、野菜にも出番はあります。ベジタリアン料理でも大丈夫です。たとえば、ズッキーニや茄子などをコンフィ風に仕上げれば見事に調和します。セリアルやチーズともよく合います。それでは若い甘口ワインはどうでしょう。

古典主義に戻って、青カビチーズ、オーヴェルニュ産ブルーチーズ、ロックフォールなどと合わせます。おいしさの基本である4つの風味を備えたこれらのチーズは、甘口のグランクリュと贅沢にマッチします。その他のハーモニーとして忘れがちなのが、マロワールやマンステールチーズ、表面が洗ってあるチーズ、フランス内外の牝羊のチーズなどです。チーズとの組み合わせが非常に有利なのは、この時点でボトルを開ければ次のステージ、つまりデザートまでそのまま進めるためです。しかし、どんなデザートにも合うというわけではありません。イチゴなどの軽い酸味のあるフルーツや、小さな赤身のフルーツや、キウイ、オレンジといったサラダにするとおいしいフルーツを選んでください。同様の論理で、季節のフルーツタルト、タルト・タタン、洋ナシのタルトとグランクリュの組み合わせでも満足できます。チョコレートではなく、できればアーモンドのような乾いた洋菓子に出番を与えてください。また、質素にクレープやワッフル、「フレンチトースト」などとソーテルヌを味わうのもいかがでしょう。

クロード・ペイルテ

本文は、ボルドー=ブランクフォールの醸造高校で長年教鞭をとっていたクロード・ペイルテが書いたものです。彼はまた、ソーテルヌに魅せられた作家として畑とワインに関する著書を出しています。著書には、『Le Livre du Vin』、『Le Grand Livre du Bordeaux』(ともにEditions Solar)、『Les Vins Blancs』(Editions Bordas)、また、クロード・カルメネールの名で著した『Les Vins de France』(Editions Nathan)などがあります。